あすではや大学3年生。齢7のクソガキ時代から14年間ついてきた学生という肩書も外れる日が近い。モラトリアムもあとわずか、というわけである。
学生らしくなにかに意欲的に打ち込んだのかといえばそういう訳ではなく、休み期間中は間延びした日常をただ淡々と過ごした感じがある。そういう状況なので、周囲の人々が制作に打ち込んだり、就職活動の前段階を始めている(早いね……)のを目にすると、非常に焦る。そうして追い立てられてパソコンの前に座っても、何をするでもなく、空を眺めて時間が過ぎていったりする。
自分の好きな分野で、やりがいのある仕事で、なるべく高い収入を得て、自分の人生の効用をできるかぎり高めたい、という気持ちの欠落が、自分の無気力の正体ではないかと思うようになっている。大陸の、かの国で社会問題になっている「寝そべり族」とは、自分のことではないだろうか。
皆々が追い求める幸せとは、今の時代、多大な努力をはらってしてもなお、手に入れるのが難しい不確実なものではないのか。そうだとしたら、自分を除いた全員は、とても立派すぎる人間だと思う(皮肉ではない)。他方、自分の求める幸せは、寒空に食べるコンビニのピザまん、それだけで十分手に入ってしまうように思う。
しかし同時に、ピザまん以上を求めなければ、自分の人生はそれ以上のものにならないだろう、という憂鬱も抱えている。何もしたくないくせに、惨めな思いはしたくないものである。一体自分はなにがしたいのか。