小中学生のころ、スマホ持ってましたか?
体感ですが、私がまだ小学生をやっていた2014,15年頃では、クラスメイトの1,2割、中学生だった2017,18年頃では5,6割が持っていた憶えがあります。
私はいずれにおいても持たざる側で、自分の預かり知らぬところで立ち上がったクラスラインで、どんな会話が行われているか知る由もない立場でした。当時の微妙な歯がゆさはなんとも忘れがたい感じがします。
母親の方針で、私の手にスマホが渡るのは高校入学を待たねばなりませんでした。
このオカンの規制という背景があり、内気なインドアキッズだった小学生時代の私がネットにアクセスする手段は家の共有パソコンからに限られていました。それも、父親が帰宅するまでという制約付き。
現実なんかよりもあかるくたのしいインターネットをもっと享受したいですよね!自分用のパソコンをおねだりしてみたものの、却下。
買ってもらえないなら、自分でひねり出そう……小学生ながら心意気はなかなかでした。もうすぐ卒業という時期に、貯めていたお年玉を財源にパソコンを組み上げることに決め、「自作PC」のガイドブックと、中古の格安パーツを頼りながら、概ね3万円前後の費用でパソコンを組み上げたのです。
絶対に自分のフィールドを設けようとする息子の意地っ張りに何を思ったのか、母親は特に何も言ってきませんでした。窮すれば通ずとはこのことですよ。全国の少年はパソコンを作ろう。
かくして私のインターネッツへの道は拓けたのです。
それからというもの、GIMP(フリーウェアの画像編集ソフト)で友人のクソコラを量産する、深夜までのめりこんで学業に支障がでるなどといった暴走行為を繰り返し、インターネットから端末ごと遮断という憂き目を見るなど、語るも恥ずべき失態を展開していくことになります。
ただまあ、いささか歪な形ではあるものの、自分のクリエイター精神のようなものは、「自分用のパソコン」というテラリウムで育まれていったのは間違いありません。もしかしたら、このパソコンがなければデザインの道を目指そうなどとも思わなかったかもしれないです。
そういう訳でこのパソコンには結構愛着があり、デザイン系を志してからもMacに切り替えていない理由の1つでもあります。
そんな愛機も、組み上げてから何度かパーツを交換してスペックアップしてきましたが、ガタがかなり見え始めていました。パソコンの心臓部であるCPUの規格も、組み上げた2016年の時点ですでに型落ちという代物。こんな老兵でIllustratorやらPhotoshopやら高負荷のソフトをぶん回し、4,5年で買い替え時と言われているパソコンを8年近くしばき続けたのはなんだか可哀想だった気もします。それでも目立った故障もなく、動き続けてくれたことに感謝したいです。
そしてこの夏、パーツをほぼすべて入れ替える大工事に踏み切り、四苦八苦しつつもなんとか完遂したのですが、それはまた別の機会に。
(↓パソコンが分かるマンへの参考画像)